2017/04/25 不器用な子が苦手な事 バドミントンと模倣力

いよいよ若葉予選の組合せが発表になりました。今年はトーナメント方式のようです。どんな割振りでも勝たないといけない相手は既に分かっているので、いまさら焦ることもありません。正々堂々、正面突破で、ぶち当たってきて欲しいです。100%の準備とまではいかないですが、どの子もやれるだけの事はやってきました。自信をもって挑んで欲しいです。

また発表つながりで言うと、本年度から東京都では低学年のジュニアの強化選手枠が生まれました。内々ではうちの三男坊も選ばれそうと聞いていたのですが、本日、正式に低学年強化選手に選ばれたことがわかりました。ますます忙しくなりそうです。相当、追い込んで練習しているものの、まだまだあと1年は基礎となる体の土台作りが必要不可欠なので、変な方向に走らないように見守っていきます。

体づくりと体の使い方、ここを無関心のまま練習をしても、ある程度のところで急に成長が止まってしまいます。現に、うちのジュニアの中学生もここでもがいています。練習すれどもうまくなれない。後輩に追いつかれて負けて自信を喪失。それでも学校の部活に戻れば、自分が一番強い。実に難しい中でバドミントンに取り組んでいるのかなと思います。

特に体の使い方が下手な子たちは、何が悪いのか?その練習風景をみていてもわかっていないのだなと感じます。ゆっくりで良いからフットワークをして確認してごらん。ゆっくりで良いからフォームを確認してごらん。こういう練習であっても、ゆっくりの動きでさえおかしい動きのまま。本人の意識の中に、何がおかしいのか?自分の体がどう動いているのか?他の人はどうやっているのか?これが描かれていないのでしょう。

縄跳びをする姿をみても、他の人の飛び方を真似する事無く、ただただ自分の飛び方で飛び続ける。見本がまわりに沢山あるにもかかわらず、自分と上手な子の違いを認識できない。手の位置はどこにあるのか?手首の使い方はどうしているのか?いつもいつも自分の事で精一杯。がんばってもがんばっても、悪い癖を強化するだけで、より下手になる。

見本をみて真似ができる能力が極端に低い。これが体の使い方の下手な子の特徴でもあるのかなと思います。不器用である事は認めているようなのに、そこから再出発ができない。いままでのやり方も「教えられたもの」としておそらく「間違ってはいない」と思い込んでいるのでしょう。教えてもらったことをしっかり細かく理解も実現もできていないのにです。

性格的なものもあるとは思います。自分はできているはず。できないのは疲れているから。できないのは縄跳びがおかしいから。できないのは相手が強いから。できない理由をいつもいつも本質から逃げて考えてしまう。前に進むことばかり考えて、後戻りできない。1か月くらい負け続けても良いから、自分をリニューアルする。こういった切り替えができないのです。

体の使い方の下手な子、がんばっているだけに救いの手を差し伸べてあげたいのですが、心の準備がそれには必要。土下座をしてお願いしますと言えるくらいの、心からの「変化」を彼ら彼女らが望まなければ、不器用な体は頑固な心に支配されたままです。他から素直に学べる心。一度、自分を捨てて細部まで真似に徹する心。ここがスタートかなと思います。

不器用な子を教えるのには慣れていますが、心の準備が整っていない子だけは、その時を待つしかないのです。もちろんきっかけは今までも何度も与えてきましたが、それでも「変化」に心がついてきていないまま来ています。

素直に自分の間違いを認め、正解者を徹底的に真似れば良いだけなんです。中途半端に真似て出来たと思うのをやめ、さらに一歩踏み込んで真似続ければ良いのです。苦しんでも、考えても自分の中に答えはありません。その答えは、身近にあることを知って欲しいです。模倣する力が弱い。それがそのまま弱点を次から次へと生むものになってきてしまっているのです。

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